ぎょむ?
東京タワーのそばにあるロシア大使館(港区麻布台2丁目)。高い塀が取り囲む1万325平方メートルの広大な敷地は、ソ連が1927年12月に購入し、今も登記上の所有権は「ソヴイエト社会主義共和国連邦」のままだ。

「西暦表記の卒業証書はキリスト教の暦を強制するもので、信教の自由を保障した憲法に違反する」として、大学などを相手取り、元号で再交付するよう求める訴訟を19日、東京地裁に起こした。

訴状によると親子は仏教と神道を信仰。3月に卒業した際、発行日と生年月日を西暦で書いた卒業証書を渡され、父親が元号表記で再交付するよう大学に頼んだが、断られた。

さて、「神田川」の話に戻ると、神田川の歌詞の中で、

『若かったあの頃、何も怖くなかった。ただあなたの優しさが怖かった。』

と言う有名なフレーズがある。

このフレーズの前半「若かったあの頃、何も怖くなかった。」は、まぁ良い、誰でもすんなり理解できるというか共感できる。

問題は「ただあなたの優しさが怖かった。」の部分だ。

この部分は多くの方がどういう意味だろうと思ったに違いない。

私はこれまでずーっと、

「幸せだけれども、若い2人はいつまでこの幸せが続くのか、それがを考えると怖い」

なんじゃないかと勝手に解釈していた。

ところが、実際は全く異なっていた。

「神田川」の作詞は、喜田条忠氏で文化放送の放送作家だったそうだ。
学生時代の経験をベースに「神田川」の作詞をしたそうである。

当時、学生紛争のさなか若い人間の多くは「世界を変えるんだ」と強い意識を持ち、学生紛争に参加していたが、疲れてアパートに帰ると恋人が黙って夕食を作ってくれている。

ふと、教員免許でもとって静かに二人で暮らそうかなと頭をよぎることがあり、自分の信念がグラつきそうになる恋人の優しさが唯一怖かったそうだ。

これが「ただあなたの優しさが怖かった。」の意味である。

先日、民団(在日本大韓民国民団)の団長らが私のところに陳情に来ました。ヘイトスピーチの問題に関してです。私が言ったのは、いろいろ頼むのなら、まずはソウルの日本大使館の前にある慰安婦の像を撤去すること。米国の慰安婦の像も全部撤去するように韓国に言いなさいと。

 そうしたら自分たちもソウルの日本大使館の前にある像はおかしい、撤去したほうがいいと思うと言うわけです。ところが、韓国の一部の人たちがものすごく騒ぐからなかなか動きが取れないと。

 また、いまのソウル市長は左翼だそうで、本当ならソウル市長が撤去する権限があるけれど、それを言い出せないと。つまり韓国系の人たちも、あの像はおかしいと思っているわけです。

首相周辺の一人は夜回りの記者団に「いま菅さんから電話がかかってきたけど、『あうあうあう』と言うばかりで何だか分からないから適当に切ったよ」と言い放った。
「ネッシーが反対をアピール」と、胴体で「NO」のシルエットを作った“スクープ写真”を掲載した。これも、一目見るだけで“捏造(ねつぞう)”。もっとも英国側としては、何が何でもスコットランドからネッシーを奪いたいとアツくなったがゆえの“熱造”報道とも言えそうだ。
無差別に市民を捕まえて首を切断し、その映像をイスラム国を通じて公開する計画だったとされる。ブリスベーンでは、なたや頭巾が押収されており、治安当局は、同様の手法で同時多発的にテロを起こそうとしていた可能性があるとみている。
雪の上をスキーの板が滑るときほどの滑りやすさではないものの、床に置いたバナナの皮を靴で踏むと、床を直接靴で踏むときと比べて6倍滑りやすくなることを突き止めました。

「反省させてはいけない」

安易な反省を求めることは、形だけの反省が上手くなるだけで実際に自分がしたことを振り返ることも受け止めることもできないまま感情を抑圧してしまい、結果その抑圧がさらなる犯罪行為を産む。(著者は自殺もまた広義の犯罪行為であると記しています)
模範的な反省文を書くことで反省しているように周囲に受け取られていてもその心の底では自己弁護を繰り返し、感情を抑圧し、それを自分の中に蓄積していく。そしてある日、なにかのきっかけでその抑圧された負の感情が暴発し、犯罪に繋がってしまう。自分が検挙されるような犯罪を犯さなくても、その抑圧された精神状態では機能不全家庭を形成し実子にその負の感情を引き継ぎ、世代間の連鎖が繰り返されてしまう、と書かれています。

こういう絵を描いた日は黒板の写真がいろんなSNSに出回るので、できるだけ黒板のどこかに図書館名は描くようにしています(我ながらセコイ)。だって利用者の方が自主的に、当館のイベントをご自分のSNSで広報してくださるというのだから…広報担当としては乗らない手はないもの…ううう。